[月別][コメント] [更新アラート] 【絵は自在に】 子どもが描く絵はいずれも天才の冴えがある。ところが小学生になり、中学生から大人へとなるにつれて、次第に描けなくなってしまう。 うまく描かなければという焦り、恥は描きたくないといった緊張。あるいは、技法を知らないからという言い訳や理屈が邪魔をして、筆が一向に進まなくなるのである。 絵を描くコツは、こうした上手に描こうという捉われから、まず己を解放するところにあるのではないだろうか。他人の眼を気にせず、自分らしさに徹すれば、描く楽しさを思い出し、再びうまく描けるようになるに違いない。 人生も同じで、幼少のころ思い描いた将来は自由自在であったはず。それが年を重ね、学年の階段を上るうちに、過去の成績や他人との比較、社会の価値観に影響を受けて、つい思考が窮屈になっていく。失敗作にならないよう汲々としたのかもしれない。 自分の人生の絵が描けるのは自分だけ。たいせなのはその絵を自在に描くことではあるまいか。さあ、年の始めにふさわしい今こそ、夢のある絵を描いてみよう。 08:00 コメント(0) [コメントを書く] 【日比是新:柳原鉄太郎】 年が改まれば心も改まる。心が改まればおめでたい。正月だけがおめでたいのではない。心が改まった時、それはいつでもおめでたい。 昨日も今日も、自然の動きには何ら変わりはない。照る陽、吹く風、みんな同じ。それでも心が改まれば、見るもの聞くものが、みんな新しい。 年の初めは元日で、一日の初めは朝起きた時。年の初めがおめでたければ、朝起きた時も同じこと。毎朝、心が改まれば、毎日がお正月。改まった心には、すべてのものが新しく、すべてのものがおめでたい。 昨日は昨日、今日は今日。昨日の苦労を今日まで持ち越すことはない。「一日の苦労は一日にて足れり」というように、今日はまた今日の運命が開ける。昨日の分まで背負ってはいられない。毎日が新しく、毎日が門出である。 日々是新なれば、すなわち日々是好日。素直で謙虚で、しかも創意に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気。 さあ、みんな元気で、新たな日々を迎えよう。 03:00 コメント(0) [コメントを書く] 【自分との対話】 私たちの多くは、自分の人格が一つではないことを知っている。たとえば、物事を決める場合、私たちはつい利己的な方向に終始する。 勝負事ともなれば、勝てばおごり、負ければ意欲を失う面倒な人格の自分もいる。利他の精神などととてもおぼつかない。 そんな中でも、自分を客観的に見つめる聡明な自分は、必ずいる。ただ問題は、その聡明な自分が、必要なとき、必要な場面で表れてくれるかどうかであろう。もしそれが必要となれば、常に分別ある判断ができるし、道を誤ることはない。 ところが、聡明な自分こそ心の奥から容易に出てきてはくれない。反省しきりの頃にようやく登場なのである。日常の自分は、世間体や常識にとらわれるし、常に感情的と言ってもよい。心もとないことはな花だしい。 とはいえ、頼みになる自分でいるには、日常から心を静め、素直な心で、様々な自分との対話を重ねることしかないのではないか。聡明であるたいと願う心が、少しずつ人格を変えるはず。望まない自分徒もいつか決別できると信じたい。 01:00 コメント(0) [コメントを書く] 【PHP研究所】 「生きてあり」心を寄せ合い、温かい社会を。 映像の進歩はめまぐるしく、一瞬という時間さえ駒送りでゆっくり解明することができる。時を競う試合の判定も容易に決着がつくし、事故や事件の成り行きも一目瞭然になったのは素晴らしい限りである。 一方で、駒送りが可能になった今だからこそ、時を刻む切なさも余計に募る。 「この瞬間」についてしまう勝負の分かれ目、人生の明暗。観るほどに、映像の駒ならぬ、本当の時計の針を少しでも巻き戻せるならば、たとえば、眼前の不幸な災害、あの望まない戦争だって何とか回避できたのではないだろうかと。 天地開闢以来、時は一秒たりとも止まったことはない。時の流れは無常であり、ことさら人間には酷薄、常に手遅れの感を与える。 だからこそ、この瞬間にしっかり生きている尊さを、私たちはもっと知るべきではないだろうか。社会は不条理にあふれ、肯定感がない人が多いのはうなずける。 それでも今、生きているのを幸せと呼ばずして何と言おう。その自覚から、明日が、そして新しい年が希望とともに意味を持つのである。 03:00 コメント(0) [コメントを書く] 【リアルタイム】 卵と魚で体が若返る 03:00 コメント(0) [コメントを書く] 【自分を眺める】 ある日、荘子が道を歩いていると、沢の中に一羽の鳥が何かをねらって立っている。捕えようと近寄ったが鳥は逃げようとしない。見ると鳥は一匹の蛙を食おうと伺うのに夢中で、自分の気配にい気づかないらしい。 一方、ねらわれている蛙もまた逃げる気配がない。実は、蛙は蛙で目前の一匹の羽虫を食べようとして、自分をねらう鷲の存在に気付いていなかった。 その状況を察した途端、荘子は恐怖を感じて、杖を投げ捨て逃げ出したという。その理由はなぜか。 鷲も蛙も他を害することに捉われ、己を害そうとする存在に気づかない。待てよ。自分も今、鷲をねらおうとしているが、同様にもっと強力な誰かが自分を殺そうとしているかもしれない、と自らの危険を悟ったからである。 人は常に自分なりの道理で行動する。それは自然なことである。ただ、より広い視野で自分の行いを眺めれば、自分とは違った道理も見え、より思慮深くなれるのではないだろうか。成長のために、他人の目線で自分を眺める修養を心がけたいものである。 01:00 コメント(0) [コメントを書く] 【emotion】 よく「ピンチはチャンス」というけど実際そうだと思う。逃げてばかりだと成長も無いからね。 07:00 コメント(0) [コメントを書く] 【人間としてどう生きるか】 いったん落ち込んでもかまいません。ですけれども、その落ち込んだところからできるだけ早く立ち上がってください。醒めた目をお持ちになって、それを受け容れ、変えられるものはお変えなさい。温かい心で自分を優しく見つめて変わっていらっしゃい。 07:00 コメント(0) [コメントを書く] 【Tetchan】 みんな投資として新しいスマホ新しいの買っているんだよ〜(月) [追記を読む] 15:50 コメント(0) [コメントを書く] 【EdTech】 私たちの心の平和、つまり天国も、自分が、敵であるよこしまな情欲と戦うことによって得られます。他人に勝つことよりも大切なことは自分に打ち克つことであり、他人を指図するよりも大切なことは、自分を自分が思うように動かせるということです。 07:38 コメント(0) [コメントを書く] 【Metaverse】 本当に謙虚な人というのは、持っているものを持っていますと言い、持っていないものを持っていますんと、素直に言うことのできる人であり、それができたらどんなに自由で、おおらかでいることができるだろうかと思います。 07:38 コメント(0) [コメントを書く] 【心に愛がなければ】 人間は神様と同じように許せなくてもいい。心底から許せない苦しみ、もどかしさがあっていい、いやむしろ、そういう自分の弱みを受け入れること自体が、「許し」の一部分を構成しているように思うのだ。こういう「こだわり」と、私たちは一生の間、ともに過ごしていかなければならないのではないか。 03:00 コメント(0) [コメントを書く] 【人間としてどう生きるか】 必要以上に自分を卑下している時も、必要以上に自分をより良いものに見せている時も、いずれも不自由です。たぶん大切なのは、現実的なありのままの自分を知ること。そして、そのありのままの自分を愛することです。 07:00 コメント(0) [コメントを書く] 【人間としてどう生きるか】 今という時間は、今を先立つ私の歴史の集大成であると同時に、今をどう生きるかが次の自分を決定するということです。人生は点のつながりとしての一つの線であって、遊離した今というものはなく、過去とつながり、そして未来とつながっているわけです。 07:00 コメント(0) [コメントを書く] 【人間としてどう生きるか】 意味的存在としての人間にとって、お金よりも、財産よりも、名誉よりも、していることに意味があるかどうか、意味が見出せるかどうかが、もっと重要なのです。 07:00 コメント(0) [コメントを書く] 【人間としてどう生きるか】 愛は溢れていきます。愛は決して涸れることがなく、使ったからといって減ることがなくて、愛は、また次の愛を生んで、世の中に愛が溢れていきます。 07:00 コメント(0) [コメントを書く] 【人間としてどう生きるか】 人を助けるためには、まず自分がゆとりを持つということが大切でしょう。自分が溺れているのに他の人が溺れているのを助けてあげることができないように、まず私たちの精神衛生というものを良くすることが大切だと思います。 07:00 コメント(0) [コメントを書く] 【愛をこめて花束を】 人々が心から求めている社会は、何人かの得意気な人間がのし歩く陰で、何十人、何百人がみじめな思いで生きていかなければならない世の中ではなくて、一人ひとりが、誇り高く生きていけるようなものでなくてはならないのだ。 03:00 コメント(0) [コメントを書く] 【美しい人に】 人間にはいろいろな力が与えられているけれども、その中で最も素晴らしい力は、物事に意味を与え得ることにできる力ではなかろうか。苦しみにさえ価値を見出し、有り難いことにと思うことができ、逆境においてさえ微笑むことのできるのが人間である。 07:00 コメント(0) [コメントを書く] 【信じる「愛」を持っていますか】 一人の人間が人格であるということは、自ら考え、選び、選んだことに責任を持つ存在であるということである。自由の厳しさを経験することなしに、人は人格になり得ないのだ。 03:00 コメント(0) [コメントを書く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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