【敵に教えられる】 己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる。己が正義で、相手は不正義なのである。いわば敵なのである。だから憎くなる。倒したくなる。絶滅したくなる。 人間の情として、これもまたやむを得ないかもしれないけれど、我々は、わがさまたげとばかり思い込んでいる相手からも、実はいろいろの益を得ているのである。 相手がこうするから、自分はこうしよう、こうやってくるなら、こう対抗しようと、あれこれ知恵をしぼって考える。そしてしだいに進歩する。自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられているのである。相手の刺激で、我が知恵をしぼっているのである。敵に教えられるとでもいうのであろうか。 倒すだけが能ではない。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。だからむしろその対立は対立のままに認めて、互いに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである。 それが自然の理というものである。共存の理というものである。そしてそれが繁栄の理なのである。 04:00 コメント(0) [コメントを書く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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