【心を高める】 禅の修業はなかなか厳しい。ちょっと身動きでもすれば、たちまちパンパンと警策がお見舞いする。痛いとも言えないし、苦しいとも言えない。厳しい戒律に取り囲まれて、箸の上げ下げすらも自由でないのである。自堕落になれた人間には、瞬時も我慢がならないであろう。 しかしこの厳しい戒律も、回を重ね、時を経るに従って、それが次第に苦痛でなくなってくる。戒律を戒律と思う間は苦痛である。しかし、その戒律がいつしか身につき、日常坐臥に自然の振る舞いとなってあらわれる時、もはやそれは苦痛ではない。そして、この厳しさを苦痛と感じなくなったとき、そこから鍛え抜かれた人間の美しさが滲み出てくるのである。 人間は本来偉大なものである。みごとなものである。しかしそのみごとさは、放っておいてはあらわれない。易きにつくのが人間の情であるとしても、易きがままの日々を繰り返すだけならば、そこにはただ、人間としての弱さが露呈されるだけであろう。 お互いに与えられた人間としての美しさをみがきあげるために、厳しさを苦痛と感じないまでに心を高めたいものである。 01:00 コメント(0) [コメントを書く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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