【自分との対話】 私たちの多くは、自分の人格が一つではないことを知っている。たとえば、物事を決める場合、私たちはつい利己的な方向に終始する。 勝負事ともなれば、勝てばおごり、負ければ意欲を失う面倒な人格の自分もいる。利他の精神などととてもおぼつかない。 そんな中でも、自分を客観的に見つめる聡明な自分は、必ずいる。ただ問題は、その聡明な自分が、必要なとき、必要な場面で表れてくれるかどうかであろう。もしそれが必要となれば、常に分別ある判断ができるし、道を誤ることはない。 ところが、聡明な自分こそ心の奥から容易に出てきてはくれない。反省しきりの頃にようやく登場なのである。日常の自分は、世間体や常識にとらわれるし、常に感情的と言ってもよい。心もとないことはな花だしい。 とはいえ、頼みになる自分でいるには、日常から心を静め、素直な心で、様々な自分との対話を重ねることしかないのではないか。聡明であるたいと願う心が、少しずつ人格を変えるはず。望まない自分徒もいつか決別できると信じたい。 01:00 コメント(0) [コメントを書く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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