【辰巳台道場での練習、終了!】 昨日、辰巳台道場での練習が最後となった。 残念ではあるが、下をみている訳にはいかないから、前をみて歩いていこうと思う。 でも、少しだけ過去を振り返ってみようと思う…… 自分がこの辰巳台道場を訪れたのは約20年前。坂元先生という自分の恩師が坂元道場を開いていた。そこで中学校時代、練習に励んだ。 高校、大学と年月がたっても、たまに坂元道場には顔をだして、いわゆる自分の“かえる場所”であった。 しかし、約10年前に坂元先生はご病気で天国へ行かれてしまった。 関係者たちの間で「坂元道場をどうするか?」と話が進み「坂元道場は閉めよう」となった。…らしい。 そんなとき、ひとりの坂元道場の卒業生の方が「坂元の名をなくすわけにはいかない!」 …と手をあげた。 それが坂元道場の二代目の先生となる田丸智樹先輩だった。 智樹先輩の中にあった“坂元道場に対する思い”が坂元道場を“かたち”として残した。 その話を聞き、社会人となっていた自分もできるだけ協力しようと、また坂元道場に顔を出すようになった。多いときは週に5〜6回は行っていた。 …しかし、6〜7年の歳月がたち、智樹先輩も色々事情が重なり、道場を続けることが困難となった。やむなく道場を閉めざるを得なかった。 自分もその頃、ちょうど引越しなどをし、道場に顔をほとんどだせなかったので、坂元道場がなくなったことは風の噂で聞き「あぁ〜坂元道場はなくなってしまったんだな」と思った。 …でも、今思えば決してなくなってはいなかった。“かたち”としての坂元道場は確かにその時点でなくなってしまっていたが…決してなくなってはいなかった。 …坂元道場でやっていたある社会人の方から連絡があった。「またなんとかして坂元道場で柔道ができませんかね?」 …坂元道場でやっていたある卒業生の父兄の方からも連絡があった。「辰巳台道場を何人かでお金を出し合って借りて、社会人達となった卒業生達がかえる場所、坂元道場をなんとか復活させられないかしら?」 それらの話を聞き、自分は坂元道場に関わった人たちの中に“坂元道場に対する思い”がまだまだ残っていると感じた!坂元道場は確かに“かたち”としてはなくなったが、まだみんなの中に“その思い”があるかぎりまた“かたち”をなすことは可能だと、まだ坂元道場は生きている! と…そう思い、與儀道場として自分はまた復活させようと思った!(本当は坂元道場という名で復活させようとしたが当時は色々あってそれは難しかった…=^>ω<^=… ) 自分が辰巳台道場でまた道場をやるという話を聞きつけた卒業生達からすぐに連絡があり「また行きます!協力します!」と… 與儀道場をはじめてからは、坂元道場関係者の方々が色々な協力をしてくれたりと… 坂元道場でやっていた生徒達が「またやりたい!」とかえってきてくれたりと… …… 自分は思う 坂元道場や與儀道場の最も大切な部分、根幹となるものは… その“かたち”や、ましてや“建物、土地”などではなく その道場にいる人たち、その道場の卒業生達、父兄、関わった全ての人たち、 その中にある“道場へ対する思い” それこそが坂元道場であり與儀道場である! と、そう思う。 …辰巳台道場ではもう練習できなくなったが… 坂元道場は、與儀道場は、 まだまだこれからも活き続ける! 02:17 コメント [コメントを書く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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